休日モード

模型・DIY・趣味全般のブログ

Zonotone 6.5N AC-2000 Meister ゾノトーンのRCAケーブル・・・意味のわからないケーブル選び

されどRCAケーブル・・・ゾノトーン AC2000 MEISTER

Zonotone 6.5N AC-2000 Meister
これはエントリークラスのRCAケーブルです。
オーディオは底なし沼の、うんちくだらけの、意味不明とも言える自分の理論が一番であるから可愛げのない、独善的なバカな趣味です。
どこまで行くのか、どこで終止符を打つのか、終着駅はあるのか、絶え間ない探究心のまるでストーカーな、信じられない異常心理の作用する、偏執病的な趣味です。
ナルシストな耳に、重厚なアンプに、キラキラなコネクターを掛けて錯覚で割ったら何が残るのか?
いい音に聴こえた。 です。
音楽を聴くというより、音を聴くのです。
コンサートホールのピアノのメロディーではなくて鍵盤を打つ音そのものに執着するのです。
例えばAKBの歌って踊ってを音的に分解し一つ一つの周波数だとかデジベルだとか、気難しい法医学者のように解明し、それをいかに正しく再現するかに情熱を傾けます。
可愛い笑顔、幼稚な歌詞とまたまたお遊戯のようなメロディー、あぁ・・いいなぁではないのです。そういう俗世間ではない、ピュアな音、ただそれだけを求めるのです。
それが悪いとは言いません。僕には到底真似出来ない音に対するひたむきな姿勢を貫いているのです。
技術の進歩にはそういうパラノイア的なものがなくてはいけません。
人間はなんというか究極を求める事に、常軌を逸した、例えばそれが底なしの満足を求めるために必要なんだと思うと、地面に穴を掘り続けることをいとわない複雑怪奇な生き物なんです。

世の中にはある一部分にこだわる人がいます。
それを、フェチといいます。
wikipediaでフェチを調べるとかなり面白いです。

オーディオにおけるケーブルフェチ、まあ、ケーブルに性的興奮を覚えるかどうかは別として、やたら詳しく解説する人がいます。
電気ではケーブル選定や敷設には神経を使います。
動力線と信号線は区別して敷設します。環境によっては信号線にシールド線を使ってノイズ防止対策をとり機器の誤動作を防止します。
単純なON、OFF信号でも弱小信号であればノイズが乗ると誤動作します。
それより遥かに複雑な信号を送るオーディオでケーブルに神経を使うのは当然といえば当然です。
粗悪なケーブルを使うとまともな音なんて流れません。
ただし、粗悪なケーブルの場合です。
RCAケーブル、ノジマ電機やヤマダ電機でぶら下がって売っている赤と白のRCAケーブルは粗悪なケーブルなのか?
粗悪なケーブルではありません。JVCRCAケーブルは5万円のRCAケーブルとなんら変わりのない、5万円という先入観で聴くと肩すかしを食らいます。
値段の差を感覚で表すと対数表示なるのがオーディオの世界です。しかもそれは非常に脆い。
一方では音が変わったという人がいるかと思えば、僕のようによくわからない、いやまったくわからないという人がいます。
この違いはなんなのか?
100歩譲って、ケーブルを敷設する環境はどうなのか?
アナログ音声にこだわるオーディオマニアのケーブルの引き回しと一般的に音楽を楽しむ人のケーブルの引き回しは、ケーブルの本数からして違います。
アンプのワッテージもスピーカーの出力も次元が違います。
そして、一般人は音声出力をRCAのようなアナログケーブルではなくて光ケーブル使ったりしています。
RCAケーブルが威力を発するのはあくまでも、アンプの裏がケーブルだらけ、アンプはA級の大発熱量、使う電流値の数倍違う、大げさにいうと待機電力だけでも電球光らせることが出来る。
そのような環境で音を聴く人達の音の実験室のような環境でケーブルがあちこち這い回されている場合は、たかが、というと怒られてしまう、人によってはされどRCAケーブルになるのかもしれません。
しかし、それは単にアンプやスピーカーのセッティングでいかようにも変える事が出来ます。
仮に、どんな単純な環境であれケーブルで音が変わるんだというのであれば、オーディオの世界では、ケーブルの交換は1番最後に行う行為だと思います。
とりあえず繋げてみて、じっくりエージングさせて音を流して、足りない雰囲気があればケーブルを変えてみる。
それは、途方もない地道な作業で、気が付くと家の中は使わないケーブルだらけだったりします。
徒労に終わるでしょう。でも、自分を何かの形で納得させます。それは値段であったり、パッケージの記述方法、外見、ネット上のレビューです。
試しにケーブルの仕様を読んでみます。
なんじゃこれ?の世界です。
例えば、このゾノトーンのケーブルにはこう書かれてあります。
「繊細ながらも温かさを持ち、パワフルで音場感あふれるサウンド・・・」
実際聴いみてもJVCのケーブルと音の違いが分からないどころか、音場感溢れるサウンドに聴こえない。
そう聴こえる場合のシステムはどのようなシステムだったのか、何と比べて繊細で温かさを持ち、パワフルで音場感溢れたのかの明記は当たり前ですがありません。
はぁ・・・何かの便秘に効くサプリメントのようです。
まるで導線が生きているかのようです。ここまでくれば宗教です。つくづく人間の心理はまか不思議です。なんにでも命や意思を吹き込み魂を感じとるのです。
6Nこれは銅の純度を表していて、9が何個連なるかの標記です。
例えば8Nというと99.999999%が銅ですよという意味です。
99.9999%と99.999999%は何か人間が音楽を聞いていて電気信号を損なう要因になるような問題があるのか?って思います。
銅よりは抵抗の少ない銀製ですと軽く10万はこえます。
中には50万ていうケーブルも。
同じ素材でもメーカーによっては値段が倍違っていたりします。
ケーブルによって音の味付けが変わるといいます。
ものは言いようなんです。
達人はケーブルに使われている材質でこのケーブルは高音に特化して味付けされていると言います。
単なる電流が導線を流れるだけではないのか?
導線の素材で音の周波数の増幅が行われるのか?
高調波でのケーブルによる変化はあるのかもしれないが、オーディオ機器で使われる帯域で人間の耳に聴き取れる変化があるのか?
それでも音が変わったと言い切れるのか?
また、RCAケーブルには音の出口、入り口の印があるものがあります。
驚き以外何ものでもありません。
電流の流れる方向をより一方向に流れやすいように考えられた新種の銅材なのか?
あるいは導線には電流の流れやすいという順方向のような方向というのが存在するのであれば、電気設計は根底から考えなをさなくてはいけません。
それとも、通常はシールドを接地させるのはアンプ側であるが、シールド接地の暗黙のルールがオーディオメーカーで足並み揃えているのか?
しかも、接地はどうしてるのか?電源グラウンド?信号グラウンド?
そんなの家にあるの?
面白い。本当にこの人間の感覚、特に聴覚に関する人の信念は岩をも動かすものです。
ケーブル交換というのは最終的には自己満足に終止符を打つものかも知れません。
可愛い彼女と二人で聴く音楽は心地よい。自己満足以外なにものでもない高価なケーブルで聴く音楽は心地よい。境遇は違えども感覚は同じです。
そういうお前がなんでRCAケーブルとか持ってるの?ですが、ヘッドフォンアンプにRCAケーブルが付属品でなかったのです。
別途買わなくては行けない。
家に余ってるケーブルでいいやと思っていました。
そうすると、某カメラ店のお兄さんが、ケーブルによる音質の違いを語ってくれたのです。
某カメラのお兄さんが、何聞くのですか?っていうからJAZZとかフュージョンとかです、って答えたら3万円もするケーブル持って来ました。
さらに電源ケーブルも変えたほうがこのヘッドフォンアンプが持つ性能をフルに出すことが出来ますと。
僕は人から嫌われたくない心の小さいタイプですので、まあ、いいかと思ったわけです。
で、ポイントで買えるケーブルにしてくれと言って持ってきたのがこれでした。
Zonotone 6.5N AC-2000 Meister
Zonotone 6.5N AC-2000 Meister
Zonotone 6.5N AC-2000 Meister
Zonotone 6.5N AC-2000 Meister
奇麗ですよね。まぁ、こういうのでだまされるのですね。
人間は見てくれに弱いのです。