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ウルトラQで見る昭和の風景 その7

1966年の怪獣映画

ウルトラQはハイビジョンリマスター・バージョンでWOWOWで放送されていました。
45年前のTVドラマですが、ナレーターが石坂浩二です。
45年前にこのような特異なドラマが放送されていたとは心しびれます。
もし、僕が当時中学生でこのようなドラマを見ていればかなりはまり込んでいたと思います。
CG全盛の今、改めて見ると手法が稚拙で荒が目立つのですが、ハイビジョン化されるだけでなく、べらぼーにコストのかかる総天然色化されるとは今でも人気があるんでしょうね。
で、おかげでウルトラQ・・かなり詳しくなりました。

鳥を見た

真鶴港

学生の頃、アルバイト先のおやじさんに連れられて一度行きました。
一泊して舟盛りを食べましたが、凄い遠慮していた記憶があります。

45年後の今、たいして変わっていません。でも、もっと高い防波堤を造らなくちゃね。

よく港で見かける網に包まれたガラス玉

これ、定置網用の浮き玉や船の係留用に使用していた「びん玉」というものです。
今では樹脂製のブイに取って代わっています。
でも、消滅はしていません。お役目ごめんでも、手の込んだ作りものは簡単になくならないのです。
「びん玉」は本来の使用用途とは別にアートな世界に変身しています。

船舶用の備品は一般用途に使っても非常に優れたものが多いです。

万城目淳の後ろにある蝋燭灯
テーブルランプっぽいです。

三郎の小屋の棚にある蝋燭用のアンカーランプ?

多分、こういうの全国の漁港回ればタダで持ってけって言われるものだと思います。

三郎のかぶっている水中マスク

これ、ゴム製のフレームに強化ガラスをステンレス製のバンドで止めているものです。
今じゃあゴーグル形状になっていまして、ちょっと格好良く見えます。

これは海女さん用の水中マスクです。

昔の海女さんってトップレスでした!

文明化が進むと神聖なものが恥じらいとかハシタナイとかになってしまう悪い例です。
浪人生の頃、理由もなくはるばる石川県舳倉島に行ったことあったのですが、その時は海女さんは潜水服着ていました。
もし、こんな状態でしたらそのまま舳倉島に永住していたはずです。


で、高度成長時代若者は都会に行き、漁港はお年寄りが力を合わせて頑張るのです。
これからの日本、少子化が進み同じような現象が都会でも起こるのでしょう。

万城目淳が乗るプリンス・スカイラインスポーツ・コンバーチブルがミニチュア写真のように見える
ミニチュア写真はコントラストを強めて周辺のピントをぼかすとミニチュアっぽく映るのですが、このショットはその逆です。
周辺にピントを合わせて肝心な被写体のピントが合っていません。
写真的には後ピンというもので、ジャストピントから少し焦点距離をのばした感じです。
つまり、失敗です。

ガラダマ


この急流で釣りをしている少年がいます。
今ですと考えられません。

小学校の校庭にある「登り棒」最近見なくなりました。
しかもこの時代のものは竹製です。

最近の「登り棒」ですが、この少年かなりアクロバット的なことしています。

昭和の先生:新田勝江

一の谷博士の研究所

いつものハリボテ機器ではなくて本物です。
物凄い機器類なんですが。

昭和の女子大生

綾子:若原啓子

由美:平井三般子

で、出てきました。三菱のラジオ

このラジオ、結構探したのですが出てきませんでした・・。
カセットテープがまだ開発されていないのでアウトドアでの音楽鑑賞はラジオになります。

Wikipediaによると、1968年にAIWAからラジカセが発売されたとあります。
AIWA TPR-101

ただ、コンパクトカセットは1966年にTDKから発売されたとありますが、ハードが追いついていないということになります。
ラジカセは若者一人一台でした。
重低音などの音質を追求したモデルも出てきました。
ちなみにCDラジカセは1986年頃であるらしいです。

群馬県みなかみ町須田貝ダム

ウルトラQで人気のあるガラモンで有名になった須田貝ダムは日本初の地下発電所であるとか。

ですから地上に発電設備はありません。

ちなみにガラダマが落下したのはダムによって出来た洞元湖です。

地図によると
奥利根湖:八木沢ダム(ならまた湖:奈良俣ダム)→洞元湖:須田貝ダム→藤原湖:藤原ダムという図式です。
車で行く場合国道63号線で下流からせめていきます。一日でダム4か所も回れますねー。

で、カヤック出来る場所は
藤原湖
洞元湖
ならまた湖
奥利根湖
みんな入水スポットあります。
オートキャンプ場もあります。
いきてー。