休日モード

模型・DIY・趣味全般のブログ

カメラこだわり読本 '92・・・その2 スリックの三脚

こういう読み物で楽しいのは商品の開発秘話やブランドストーリーです。
カメラこだわり読本 '92にスリック 森 泰生さんという92年当時ですが、取締役広報部長のインタビューが載ってありました。
僕はほとんど活用していないですが三脚は5本も持っています。
一番のお気に入りは最新式のカーボン三脚ではなくて、残念ながらスリック三脚でもなくてアルミのハスキー三脚です。
さわって楽しいハスキー三脚がいかに良くても、三脚はただの足が三本あるカメラを乗せる台です。
と思っています。
そこにどんな技術や苦心があるのだろうと、使っていて不便はあるもののこれはいいなと思ったことありません。
まず、足を伸ばす作業を三回行わなくてはいけない。
水平を取らなくてはいけない。
三脚を準備している姿はあまり格好いいとは思わない。時に隣の人に邪魔である。
公園で鳥の写真撮ってる人の三脚と場所取りは飛び蹴りしたくなる時がある。
持ち運びに不便な形をしている。
かなり、三脚をバカにしているのですが、実際はどういう苦労があるのだろうと真摯な態度で読みました。

スリックの誕生は昭和31年8月(1956年)
その頃はアルミの三脚はほとんどなくて、”ガチャ”と言われていた真鍮製の三脚が主体であったそうです。
ちょっとまて、ハスキー三脚やTiltall三脚があったではないか、と思うのですが、国産三脚のことを言っているのかもしれません。
また”ガチャ”と呼ばれた真鍮製の三脚ってどんな三脚だったんでしょうか?
ガチャは普通カプセル玩具というイメージしかありません。
ネットで調べても出てきませんでした。
真鍮製の三脚は重そうですが部屋に飾るのにはいいかもしれませんね。
森さんが入社したのは昭和43年(1968年)
スリックはグッドマンエースという三脚が発売されていました。

スリック・グッドマンエース

http://www.slik.co.jp/usages/3.html

この頃はニコンF、アサヒペンタックスSPの全盛期であったそうです。

アサヒペンタックスSP


この頃の三脚は1ドルが360円の時代で海外製の三脚が気安く買えなかった。また、マクロレンズもなく、一般的には135mmのレンズがアマチュアとプロの区切りで200mmのレンズは稀であった時代であったために三脚の需要はあまり多くはなかったそうです。
セルフタイマー用途でしかなかったので、アルミの大きな三脚は過剰装備であったということです。
ただ、カメラも一眼レフが一般人に浸透するつにつれてセルフタイマー用途でしかなかった三脚が、作品を撮るために使われ始めて国産三脚の需要が高まったそうです。
そこからスリック・マスターをたたき台にしてスリック・システム三脚の開発に参加した話に移りますが、この当時はシステムという言葉が一般的でなく、システムという意味を説明しなくてはいけなかったそうです。
なんというか、ここまで三脚の苦労話は皆無ですから、雑誌のインタビュー的につまらないものになっています。
読者が知りたいのは、もっと技術的な話で、こういう壁を乗り越えてこうなりましたという話です。
で、昭和51年(1976年)から手がけたのがスリック500Gシリーズで92年までに累計500万本出荷したそうです。
時代が軽量コンパクトな三脚が求められていて500gを切るのを目標にして、今までのパイプ径が1mmであったのを0.4mmから最終的に0.6mm厚とし、エンジニアリングプラスチックを多用する事で最終的に560gの三脚を作ったといいます。
庶民の生活が安定し余暇を楽しむ余裕ができると、趣味で使う物に軽量コンパクトといのはキーワードになるようですね。
写真にそれ以上を求めるとやはり行き着くところは大きく重くなるのですが、これがどうにかならないか、進化の余地はないのかと思ってしまいます。
で、肉厚を薄く出来たのはこれまでの型にいれてアルミパイプを作る押し出し管製法からアルミの板を丸めて溶接する電気溶接製法に切り替えて実現したそうです。
試験は幼稚園児に三脚を持たせて父親と一緒に行動させて「パパ持って」にならなかったとか。
また水に浮いたそうです。
ただプラスチックを多用していたために「トイ・ライク」と言われ、さらには台湾から「SLOK」というコピー品が出回り、価格も安かったことから海外の代理店から価格を下げろというプレッシャーを受けたといいます。
しかし、足を広げて折れるのはコピー品、上に乗って壊れないのはスリックと説明したそうです。
http://www.slik.co.jp/usages/zenren33.html


三脚の売り上げは一眼レフカメラの需要と共存したそうです。一眼レフが売れないと三脚も売れないということですね。
ただ、ミノルタのαが出た頃(1985年代)に一眼レフの需要も伸び始めたが、この頃、カメラは三脚なしで撮れる、手持ちで撮れるをPRしていた頃で三脚製造メーカーは複雑な思いであったようです。
レフレックの500mm使えば三脚いらないということです。
で、スリックの森さんは声を大にしていいます。
”三脚というのはブレ防止とは考えていない。それは三脚の役割のほんの一部にすぎない。しかし、カメラブレ防止が三脚の役目100%という人がいっぱいいる。そういう人を啓蒙しなくてはいけない。”
”三脚の重要な役目は撮影者にかわってカメラを二時間も三時間も支えていることにある。おかげでいい表情をチャンスを狙う事が出来る。同一フレーミングは三脚の独壇場である。おかげで多重露出が可能になり、構図を決め、背景を処理し、ライト台の代用、長時間露光、定点観察用、流し撮り用、精密描写用などなど”
と訴えています。
三脚は四脚と比べて安定させることの出来る場所をえらばない、どこでも安定させることが出来るのが三脚です。だそうです。
森さんの印象的な言葉に
”写真コンテストの撮影データで三脚使用と書かれていることはまずない、それだけ三脚が市民権得ていないことです。”
というのがあります。
インタビューアーはカメラという道具がアナログ界からデジタル界に移り住んだのに対して三脚は純アナログの住人であり続けている。
アナログ界の道具は使う人の腕次第で真価を発揮するところがある。それゆえに三脚は押すだけカメラとは違った意味のよそよそしさが手にしたはじめにはある。
三脚はめんどくさいというアマチュア氏は沢山いると聞くが、きっと仲良くするための努力が足りないのではないかと思う。
と言っています。
まあ、しかし重い物は重いし、嫌だし、荷物になるのは荷物になってしまうところに女性が困ってしまうのです。
それと、ここでもカメラのデジタル化にいい印象の言葉を使っていないのですが、選択肢の多いデジタル化されたカメラと選択肢が少なく知恵でカバーするアナログカメラを同一の物として比較してしまうのですね。
今では撮影データに三脚使用と書いた写真ブログを作ってらっしゃる方も多いですが、そういうことを書く人って三脚の使い方が上手な人なんでしょうね。
僕のように三脚は重くて面倒くさいだとか、ブレた写真撮りたくないから使うだとか言っているうちはろくな写真撮れないのです。